フジテレビの経緯
今月17 日フジテレビの社長が元SMAP の中居君と自社の女子アナのトラブルに関して、会社が関わっていた疑惑を受けて記者会見を行いました。マスメディアは通常取材する側ですが、今回は逆の立場になり、批判を浴びるような閉鎖的な一端が露呈されました。その影響からか、トヨタ等のスポンサーがCM を止めたことで、業界では余波が続いています。
中居君のトラブルはマスコミやネットに任せ、私は創業以来続くフジテレビの特異な経緯をお知らせします。当局では創業より少なくとも二回のクーデターがおこなわれています。このことが今回のトラブルと関係しているのだと思います。
はじめに開局前に遡ります。1954 年水野茂夫(初代社長) が財界の出資により立ち上げたラジオ局がニッポン放送です。テレビの普及に伴って、ニッポン放送が筆頭株主として1959 年に当局は認可されました。因みに、TBS は毎日新聞などが出資、日本テレビは読売新聞などが出資して民間キー局を立ち上げています。ラジオ・テレビ局は限られた公共の電波帯域を使用するため、公共性が求められ、経営の安定性や新聞社や出版社などが株主となることで、当時の郵政省(現総務省)が認可しました。
ところが1971 年のニクソンショックなどで出資した企業の中から経営上の理由からニッポン放送株を手放すことが相次ぎました。その窓口をしていたのが財界の番頭役だった鹿内信隆(後のグループ議長) でした。彼は個人的にそれを引き受けているうちに、いつの間にか過半数を彼が握ることになりました。
ニッポン放送、フジテレビの設立に大きく関わった水野ですが、いつのまにか鹿内信隆がニッポン放送の過半数を占めることになりました。一方で経営難に陥っていた産経新聞をフジテレビが支え、フジサンケイグループが誕生します。初代の議長(最高経営責任者) は水野氏でしたが、母体のニッポン放送では鹿内氏がオーナーとなったため、鹿内信隆氏がグループを支配することになりました。一回目のクーデターです。
オーナーの鹿内家は信孝氏、息子の春雄氏、娘婿の宏明氏によって引き継がれましたが、1989 年銀行から転身した宏明氏の在任中1992 年に取締役会で突然解任されることになりました。現支配者であり元フジテレビ社長の日枝久氏らの策略と言われています。これが二回目のクーデターです。
二回のクーデターは本所 次郎 著「閨閥」や中川一徳 著「メディアの支配者」(いずれも発禁本)で取り上げられ、フィクションでありながら生々しい経緯が描かれています。
当局は開局時の方針のひとつ教育目的から「母と子のフジテレビ」路線でしたが、二代目春雄氏は「楽しくなければテレビじゃない」をスローガンに、「笑っていいとも」や「俺たちひょうきん族」などのヒット番組を連発し、タモリ、たけしなど有名なタレントを生み、高視聴率を獲得しました。さらに当時は想定外であるNHK の看板女子アナの頼近美津子を転籍し、春雄氏は自らの妻としました。今ではアイドル的なポジションの女子アナのルーツが頼近さんです。
立法・行政・司法に続く第4 権力として世論を形成するメディアは報道の公平性や企業ガバナンスが求められますが、今回のトラブルは当局の歴史が育んだ社風が一因ではと思います。(や)
大万木山頂(2025.1)
メディアの支配者(2025.1)
冬のレジャー
昨年末から本格的に冷え込み雪も見かけるようになりました。
今まで雪国と言われる土地でほとんど過ごしたことが無いため、冬支度で車を冬用タイヤに交換したりと、はじめての雪国経験をしております。
まだひどく凍結した日は経験していない為、車での走行で滑ったり、徒歩で滑らないかと心配しております。また、雪かきがものすごく大変だと色々な人から聞いてますのでそちらについても戦々恐々としております。しかし雪のシーズンでは大変な事だけでなく楽しいこともあります。例えばスキー・スノボーといった冬のレジャーです。
地元では昨年末に琴引フォレストパークスキー場がオープンし、天然雪のある状態でスキー・スノボーのシーズンが始まりました。
暖冬が続いたり、コロナなどが流行ったりしてスキー場も以前に比べてかなり数が少なくなったと聞きます。そんな中現在も運営されているスキー場は来場されるお客様にコスパよく楽しんでいただく為に、若い人たちには雪マジ、ご家族にはファミリー割引、70 年代に楽しんでいただいた方々にはシニア割引など世代に合わせたお得なキャンペーンをして、スキー場に足を運びやすくなるよう努力されています。
年末から降雪量が多くゲレンデの状態は例年に比べて雪が多く、コンディションは良いとのことなので、雪国山陰に暮らす私たちも久しぶりに雪に恵まれた冬のレジャーにチャレンジして体を鍛えてみてはいかがでしょうか。(さ)
ぐるない松江版34号▶
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