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Webplan News  2019年8月号

  

二十世紀梨・初鰹・鰻

 仏壇にお供えした二十世紀梨をお盆明けにいただきましたが、甘さも瑞々しさも旬の味には及びませんでした。仏さんが食べたのか、ハウス品なのか、とにかく路地物が最盛期を迎える下旬にもう 一度山陰の「旬」の甘い味覚をいただこうと再チャレンジを決意しました。
 「はしり」の魚を争って求めた江戸っ子。北斎作、世界で一番有 名な「大波」をクローズアップした「神奈川沖」は背景に富士、大波 に浮かぶ三艘の押送り船は魚河岸に向けて初鰹を乗せて急いで 運ぶ海の宅配便と聞ききます。新鮮なうちに、高価で売るため一 刻も早く届けようと、襲ってくる大波たつ日でも交代の漕ぎ手を乗 せ、先を急ぐ姿が描かれています。
 その昔、出雲地方の鰻は有名な産地でした。江戸時代のコピー ライター兼販促ディレクター平賀源内によって「土用の丑には鰻を食べよう」という季節のマーケッティング戦略が立てられ、一般に 広まったようです。鰻は生命力が強く、鮮度が落ちやすい魚介類 に比べて遠くまで運べるメリットがあり、出雲の鰻は中国山地を超 えて山陽や上方にまで運ばれました。夏場は中海や宍道湖産の多くの鰻が運ばれたでしょう。出雲産の鰻は安来に集められ、伯 太川の支流から法勝寺川を遡り、根雨から四十曲峠を超えて、備 中勝山に届けたそうです。運び手は力自慢の男達が籠を担いで川 沿いの道を運んでおり、とても過酷な仕事であり、高価な給料を貰っていたそうです。勝山からは高瀬舟で荷を繋いで旭川を経由して瀬戸内海に送られ、上方に届けたと伝承されています。(今も鰻街 道(鰻道)沿いには石碑や鰻のために水分補給する池が残ってい ます)。出雲産鰻便は多くの男達が高速輸送を支え、「出雲鰻」の高いブランドの一翼を担い、広く知られるうになりました。今でも畿 内各地には「出雲屋」「いずも屋」と称する鰻屋が残るのは往時の 名残です。   「桃栗三年柿八年」の後は「柚子の大馬鹿は十二年」と続き、さらに「梨の馬鹿めが十八年」とも云われます。果樹を植えてから収穫の期間をあらわした例えでしょうが、手間暇を掛けてつくられた美味しい二十世紀梨は全国に届けられ、そのブランドは本家千葉県産を優ります。今年もありがたくいただきたいものです。(や)


梨の花(大山町) 富嶽三十六景神奈川沖


ご近所付き合い

 先日、 大山町にある倉谷の夏祭りへ行ってきました。私は知人 の紹介で祭りの出し物の一つとしてアコースティックギターで弾き 語りを依頼され、夏祭りに参加することになりました。 準備段階から会場にいましたが、 大山町観光課の方や住民の 方々がテントを立て、 祭りの飾りつけをする姿を見ました。祭りが 始まり、 ご高齢の方や子ども達が和気藹々と会場にいる姿が見られました。ステージの出し物はカラオケ大会やビンゴゲームなどが あり、 景品にはカブトムシが配布されたりと、 活気のある雰囲気が そこにありました。 水郷祭やがいな祭りなどの祭りと比べると規模は小さいものでし たが、 小さな集落ならではの自分たちでつくり、 自分たちで盛り上げていくという強い意志を感じました。
 近年、 少子高齢化が進み、 倉谷のような人口減少が著しい集落 は増え続けていますが、 以前の日本のような「ご近所の繋がり」が残っているように感じました。現代では近所の付き合いはほと んどなくなり、やや冷めたものになってきています。確かに面倒なものと認識されてしまうものということは分かりますが、倉谷の方々と触れ合ったことで、改めて人と人との繋がりの大切さを 感じるきっかけになりました。(い)

倉谷公民館(準備中) ぐるない出雲15号

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